|
第一章
~佐賀を離れる~ |
佐賀のおかげ |
角 |
「佐賀って好きですか?」 |
井上 |
「えっ!あっはい。好きです。どちらかといえば、早く上京したかったんですけど、大学に入り応援部の主将とかやらせてもらって、人間性を評価してもらったりすると、自分の人格形成の場はやっぱり佐賀のおかげだなあーって思います。自分にとって、佐賀ってかなり人とのコミュニケーションできる場所であり、自然環境もすばらしいし・・・“はなわ”が歌っているとおりですよね。(笑)」 |
角 |
「確かに。(笑)」 |
井上 |
「余談なんですけど、“今の自分が評価されるのは、故郷のおかげだ”と尾崎士郎の著書の中にあるんですが、ぼくも本当にそう思うんです。
早稲田の学生の中では“人生劇場”を第二校歌というほど歌い継がれ“人生劇場の宴”なるものまであるんですよ。」 |
角 |
「すごいものがありますね。私なんて恥ずかしながら、佐賀出身って堂々といえない奴だったんですよ。」 |
井上 |
「えーっ、僕は平気です。方言も。キャンパスではたまに方言でしゃべってますよ。
ブームも起こりましたから・・・。(笑)」 |
東京に出るきっかけ。そして・・・ |
角 |
「佐賀に住んでいた頃は?」 |
井上 |
「はい、コンプレックスはありませんでした。ただ、親元を離れたい、東京に出たい・・・それだけはずっと心に誓ってました。
父が東京の大学を出てまして、男だったら一度東京でもまれて、価値観や人脈を広めてこいと言う人でしたからでしょうね。その影響を受けて育ったから、最初から、東京を目指し、しかも早大一本での上京を目指しました。早大だけで5学部も受けて、なんとか商学部に受かったんですよ。」 |
角 |
「エーッ!!ものすごいエネルギーだね。」 |
井上 |
「高校の進路指導の先生からは、もう勝手にしろ!!という状態でした。(笑)」 |
角 |
「同じことが僕にもあったことを思い出しました。(笑)
ところで、応援部に入ったきっかけは?」 |
井上 |
「高校の時、部活はサッカー部だったんです。そして、武陵祭で応援団やってみて、3年生の時には応援団長をやりました。そしたら、サッカーをやって勝った時とはまた別の感動があって・・・。
大学に入り、和敬塾という寮に入り、応援部の先輩と知り合い、実際に見に行きました。
そこで、なんともいえない魅力を感じましたので即、入部しました。
極めたいって気持ちも芽生えましたし・・・。
親父からは、怒られたんですけどね・・・(笑)」 |
|
* 武雄高校の、文化祭、体育祭を総称して、「武陵祭」といいます。 |
|