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第一章
~自分の中で作ったイメージのふる里 佐賀~ |
佐賀と繋がっている |
角 |
佐賀って好きですか?・・・ |
岡 |
「佐賀は生まれただけで、僕の佐賀の記憶というのは、小学校の頃、弟と二人で行った夏休みの思い出以外ないんですけど・・・。佐賀は、親のふる里であると同時に
“あんたここで生まれたんだから”とおじいちゃん、おばあちゃんが言う。
僕の中の一部で、ふる里は、ここなんだなと、いわば文学的に認識してきたわけですね。
だから、んー、“おか”という名前が好きですか、と言われるのと同じようなもので・・・。(笑)好きも嫌いもないよね・・・。(笑)そういう意味では僕は佐賀と、とても繋がっているんだと思いますね。」 |
夢の国 佐賀 |
岡 |
「で、僕は、角さんみたいにいわゆるふる里ではなく、イメージ上のふる里だから、中学、高校になると客観的に勉強するようになりました・・・。
佐賀ってどんな県で、どういう人がそこにいたのか、今はどうなっているかとかね。すると、夏休みの夢の国 佐賀から、地方都市になった。
大学を出て就職する頃に、自分の選択で生きる土地を決めることになるよね。そのときに、自分の判断として、佐賀を離れるわけですよね。でも、ある種のさみしさというものがあって、本籍は遷すのはやめようって・・・。んーまあ30歳くらいまでは本籍は佐賀にしてたんですよ。」 |
佐賀の磁力によって描いたCM |
角 |
「現在は東京ですか?」 |
岡 |
「そうそう、東京です。だから、佐賀ってものが具体的なイメージじゃないだけに想念として自分の中にいつもあって、JR東日本のCMとか、南アルプスの天然水のときもそうなんだけど、東京から離れたものを描く仕事をするときにはやっぱり影響していると思いますね。佐賀という自分の作ったイメージのふる里を描写しようとしているわけだから、磁力というのかなあ、そういものを感じてます。」 |
マイナーならマイナーなほどいい |
角 |
「私は、佐賀人だと言えない人だったんですよ。そして、私は大学を選ぶときに佐賀を離れる選択権が生まれてて・・・。」 |
岡 |
「あーそっかそっか。嫌ってたの?」 |
角 |
「嫌ってたわけではないですよー。コンプレックスっていうんですかねー。結構ブランド志向のところがあって・・・。 」 |
岡 |
「みんなありますよね。ブランド志向は・・・。逆に僕は、若い時に、メジャーであるってことが恥ずかしい感じがあった。東京の子は敏感で、みんなと全く同じってことにみっともなさがあるんですよね。そしたらみんなが本籍が東京のときに僕だけ佐賀県だったから、なんか嬉しかったわけよ。特に大阪や京都じゃないだけに、“どうだシブイだろー”みたいな誇らしい感じ・・・。(笑)
マイナーならマイナーなほどいいわけだよね。」 |
角 |
「同じこと倉成君が言ってました。稀少価値だって。」 |
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*倉成君・・・ |
倉成 英俊。佐賀県出身。コピーライター、CMプランナー。
大学在学中に通った専門学校にて岡さんが講師である講座の生徒だった。 |
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岡 |
「言ってた?そうそう稀少価値なんだよね。レアもの・・・。(笑)
あとね、親父とお袋が佐賀弁を話してたんで、ヒアリングはできますよ。
ただ喋るのは難しいね。」 |
角 |
「僕も家庭の中では、夫婦で佐賀弁です。」 |
岡 |
「(笑)ひどいなー。子供がかわいそうだよ。」 |
特別な何かが或る |
角 |
「色んな人と出会って、今は佐賀のコンプレックスは少なくなってますね。」 |
岡 |
「けどあれだよね。佐賀出身の人がコンプレックスを感じるというのは問題だよね。
でも、問題だっていうことと同時にさ、嬉しくもあるよ、僕は。
逆に普通の県じゃないわけだよね。(笑)
・ ・・特別な何かがあるわけなんですよ。(笑)」 |
角 |
「会社や周りの人をみても東京出身なんてほとんどいませんよね。そこで聞いてみると結構出身地にコンプレックスをもっている人が多い。でも言わないんですよね。
佐賀の人は言わないというより、逆にアピールしちゃってるんですよ。
コンプレックスを・・・。(笑)
で、色んな人と出会って、何故か、キーワードが佐賀って人が多くて、普通につきあっていても、実は佐賀に絡んでいた人だったとか、突然、薩長土肥の話で盛り上がったりだとか・・・。」 |
岡 |
「薩長土肥ね。途中で降りたとか言われているけど降りたわけじゃないんだよね。
俺の親父も言ってたな・・・。子供の頃、そういうこと・・・そういえば・・・。」 |
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